この作品について:

1985年の初春、ニューヨークに滞在していたわたしは、チェルシー地区の一軒のアパートメント・ビルディングのまえに日本語の本や雑誌が捨てられているのを見つけた。
その傍らには、口が開き、写真がはみ出た紙製の靴ケースや汚れた衣類が散乱していた。日本語の本のなかには、かつてわたしも愛読したジョルジュ・ペレックの『眠る男』やクラウス・ワーゲンバッハの『カフカ』なども混じっていた。一体こんなものを捨てて行ったのは誰なのだろう?
とりあえずわたしは、それらの廃棄物のうち、本と箱をホテルに持ち返ることにした。靴ケースのなかには、使いかけのボールペンやプラスチックのゼームピンなどとともにカラーとモノクロの写真がごっそり入っていた。不思議なことに、そこには、それを撮った人間と直接関係がありそうな人物の姿はなく、すべて、傍観者の目で撮られたニューヨークの街頭風景と人のいない室内の写真であった。

汚れていたので見るのをあとまわしにしたのは、1冊の分厚いノートである。それは、「ミード」という銘柄の、ニューヨークではどこにでも売っている9.5 x 6インチサイズのノートで、そこには読みにくい字の日本語がびっしり埋めつくされており、内容はニューヨークを舞台にした小説のように見えた。
しかし、そのおそろしく読みにくい文字のために、わたしは、すぐに挫折してしまい、それから1月後に日本に帰るまで、遂にこのノートをもう一度開く機会を作らなかった。仕事でひとに会うことがますます多くなり、ホテルに戻ると、留守中にかかった電話を処理して寝るといった毎日で、ゆったりした気持ちでノートを読むなどという余裕もなかったのである。
日本に帰ってきてからも、つめた気分でこのノートを読み直す機会はなかなか訪れなっかったが、わたしの意識の片隅にはつねにこのノートのことがあり、一度ゆっくりと読み直してみようという気持ちだけは持続していた。
1995年、暮れもまじかかになったある日、仕事から解放されたわたしは、何と10年ぶりにこの緑色のノートを開いたのである。この10年間このノートのことを忘れたことはなかったが、なぜか一度もページを開いたことがなっかった。
一読して、わたしは、それが最初の印象とは違っていることに気付いた。確かに些末なディテールを積み上げた部分は少なくなかったが、そのあいだにはさまったようにして書かれている文章が、やけになまなましいリアリティーを持ってわたしをひきつけたのである。それは、一種小説ともドキュメントともとれる文章で、ニューヨークの具体的な場所の正確な記述にあふれていた。そして、次第に、わたしはこの文章の書き手が、何らかの記憶の病に冒されているか、あるいはそうした病に普通以上の関心をいだいているということがわかってきた。そして、はじめは支離滅裂と思えた一連の文章が、記憶の病者にとってはごく普通の一貫性を持っており、そこから「あなた」という名で登場する人物の屈折した意識と生活が浮かびあっがってくることがわかった。
その後、わたしは、1ケ月にわたってこのノートの書き手の追跡調査を試みた。このノートが捨てられていたアパートメン・ビルディング (348 West 20 Street) にも行き、問題の人物の具体像を結び合わせようとした。しかし、そのビルディングはすでに大分前に持ち主が変わり、そこがかつてルーミング・ハウスであり、そこにはアル中だった人々が多く住んでいたということしかわからなかった。ルーミング・ハウスの経営者が、もとはセント・ビンセント・ホスピタルで看護婦をしていた女性であり、いま彼女はニューヨーク・ステイツの田舎に引っ込んで老後を送っているらしいということもわかったが、その住所を知るすべはとうとう見付からなかった。
とはいえ、収穫もあった。例の靴ケースを流用した箱のなかに入っていた写真とノートの記述とが正確に一致しており、明らかにこのノートの作者は、写真を見ながらノートの記述を行なったか、あるいはノートを書きながら写真を撮ったか、あるいは、写真と文章とを合わせて1冊の本にするというようなことを考えていたと確信したのである。
今回、これらを漸次、整理のついたものから、WWWのナヴィゲイターの技術を用いて発表することにしたのは、これが、作者の意志――結局は形にならなかったその不決断をも含めて――を具体化する最善の方法であると思ったからである。これを本の形にすると、どうしても、断片にシーケンシャルな流れを強制せざるをえないが、WWWのナヴィゲイターのおかげで、 読者は、断片に、それが靴箱のなかにあった状態で接することができるわけであり、ニューヨークの具体的な場所と文章と写真とを通常のやり方で対応させることもできるし、また、独自のやり方でリンクすることもできるはずである。

なお、「ロスト・メモリー・ロスト」というタイトルは、ノートの裏表紙に記されていたもので、これが予定されたタイトルだと判断してまちがいないと思われる。

粉川哲夫